秋である。

その人の話す声は、少しも高圧さがなかった。それは今にも壊れてしまいそうな、か弱いものに話しかける口調であった。

その人は人生が下り坂に差し掛かったとき、「はっ!」と思ったのである。もう一度何かに情熱を傾けたい衝動に駆られ、森の中にある冴えない別荘を、へそくりで買ったのだ。その別荘の目玉であるウッドデッキは、ほとんどの板張りが朽ちかけていた。それを自分だけで体の2倍以上ある重い板を何度も運んで、張り替えた。合わせると200㎏以上もある砂やレンガなどを一人の力で運び、何度もやり直して駐車場も完成させた。しかし、そのことが大変そうには見えなかった。むしろ彼女の世界を押し広げていくようであった。

内装の手入れは業者に頼った。元々室内には、沢山の森の木の命を含んだ陽の光が差し込んでいた。さらに外がよく見える大きな窓の横にある、ウッドデッキと室内をつなぐドアがあるのだが、そのドア枠を残し、それ以外を取り除いて、ガラス窓に変えた。そのことは奥の隅々のものすべてを光でいっぱいにした。彼女は、手をかければかけるほど、この別荘に愛着を感じた。そして、この別荘を「秘密基地」と呼んだ。秘密基地である以上、誰にも知られてはならないと考えたのだが、流石に子供たちは招待した。自分の母親にはウッドデッキにヒノキで出来た露天風呂を作り母親を喜ばせた。母親は風呂の真新しい木の匂いと眼前に広がる木々の重なった枝の隙間からこぼれてくる、緑に輝く光を満足そうにながめながら、「生きて来てよかった。」という言葉を娘に伝えた。

                 

そして冬になった。

一日で、一面が銀世界に一変した。彼女が秘密基地の中に入ると、寒さが足元から鼻先にかけて襲って来た。水道管は断熱材で補強していたが、していなかった排水管は凍って、一切の水をせき止めた。備え付けの風呂場にいくと張ってあった水は、かちかちに凍って盛り上がっていた。それでも怯むことなく、この家のあらゆる暖房器具を駆使し、この秘密基地を快適なものに仕上げ冬の寒さを跳ね除けたのだった。

夜も更け、彼女が別荘から帰宅しようしたときだった。家の窓から漏れる光に照らされて、凍てつく寒さの中に、デッキにちょこんと品よく座っている一匹の白猫が目に留まった。この秘密基地に通うようになって、途中で鹿の群れに何度か出会った。その中には、たくましい角を持った雄鹿もいた。その悠然とした風格を見て、森の王と彼女は名づけた。この雄鹿は、雌鹿や幼い鹿が彼女の前を通り過ぎるまで彼女から目を逸らさなかった。このたくましい角は、仲間の安全と食べものを保証しているかのようであった。それに比べ、眼前にいる白猫は、あまりにも小さかった、弱々しかった。そして、白猫の左頬と左目に痛々しい傷を発見したとき、彼女のこころは居ても立っても居られないような気持ちになった。

その日から彼女はその猫を「白さん」と呼んだ。そして、白さんの境遇を色々想像して見た。「この人里から離れた森の中で、ほとんど食べるものがないはずだ。寒さを飢えた状態でどう命を繋いでいるのだろう」と考えたとき、彼女は涙を落した。私が守るという強い意志が自然とこころの奥底から沸き起った。