文を書くとき,僕なりに言葉を選び,僕なりに配列する。それには,かなり神経を使う。そこに妥協を許してしまうと僕の中の歯車がぎこちなくなってしまうから。また,書いて見て,読んで見て好きになる言葉がある。直ぐに思い浮かぶのは,「刹那」,「鼓舞」という言葉である。明らかに,この文脈では明らかに「瞬間」という言葉が最も適切なのに,ついつい「刹那」という言葉を使ってしまうのである。

若いころ,「体力という言葉が好きになり,生き物にも,ものにも体力という言葉を使って一人悦に浸っていた。そんなとき,僕が「もうこの銀行には体力がない」とか「おれの頭にはもう体力がない。」等と,無茶苦茶な発言したとき,気品ある美しい字を書く国語の先生が,「銀行に体力という言葉を使うのは,おかしいでしょ! 日本語は正しく使って下さい。」と,ぴしゃりと𠮟責された。日本語の乱れを嘆いていた人なので,反論はしなかった。が,その時,僕の脳裏理には,ある情景が浮かんで来た。それは,鴎外の「妄想」という作品のなかに,次のような文がある。「留学生仲間が一人チフスになって入院して死んだ。講義のない時間に病院に見舞いに行くと伝染病室の硝子越しに,寐ているところを見せて貰うのであった。 -中略-  そのうち或る日見舞いに行くと昨夜死んだということであった。その男の死顔を見たとき,自分はひどく感動して、自分もいつどんな病に感じてこんな風に死ぬるかも知れないと,ふと思った。」

このころの鴎外は,国の留学生となり,その肩には大いなる責務を荷っていた。そして,ベルリンでは,「生き生きした青年の間に立ち交わって働く。何事にも不器用で癡重というような処のあるヨウロッパ人を凌いで,軽捷に立ち働いて得意がるような心も起こる。」こんな風に鴎外は自信に満ち満ちていた。その矢先,留学仲間がこんなにもあっさりと死ぬという局面に出くわしたのだ。「その男の死顔を見たとき,自分はひどく感動して」等と,人の死に対して〈感動〉という表現を用いている。つまり,鷗外は,この仲間の死を通して,己を顧みて有頂天になっている自分が,如何に弱い存在かということを思い知らされたに違いない。それは,人間の生の深遠なる部分に触れた刹那ではなかったろうか。それ故,「感動」という言葉を用いたのであろう。その証拠に,その後に,自我について,自分の死について,様々な哲学的考察をしている。

 僕に呆れた顔をしている国語の先生に,人の死に対して感動という言葉を用いる鴎外に,「それは,おかしいでしょ。日本語は正しく使って下さい。」と言えますかと,皮肉を言ってしまおうかと衝動に駆られたが,それを首を振って否定した。それは,鴎外という権威を用いて反論することを不快と思ったからである。解る人が解ればよい,そう思ったのである。