どうなる? 子供の学力
――新教科書、学校5日制導入を前に
●学力低下は本当か
2002年度から新しい学習指導要領に沿った学校教育が行われるのに伴って、最近やたらと子供の学力低下に関する論議が盛んである。本当のところ子供の学力は低下してきているのか。新しい学習指導要領のもとではさらなる学力低下が進むのか。
ここでいう「学力」とは小学校では算国理社、中学校では英数国理社の主要教科に関する知的理解力とする。そうすると、はっきりしているのは現行の学習指導要領の下で、ここ30年の間に教科の内容ですでに約30%が削減されており、学習時間においても15%前後少なくなっているという事実があること。したがって学校での授業以外に特別な手立てをしないかぎり、全体的には子供の学力は低下しているといわざるをえない。
●受験学力も全体的には低下
一方、受験の学力という観点でみても同様のことがいえる。高知県の中学入試における競争率の推移をもとに見てみよう。
高知県の中学入試がピークを迎えた平成元年入試では県内の6校(土佐・土佐塾・学芸・附属・土佐女子・高知)を実際に受験した生徒は全体で2,873人で、6校全体の平均の実質倍率は1.98倍という狭き門であった。これは受験生の2人に1人が不合格になるというすさまじさであった。その後は児童数の減少で年々受験生の数は減少し、今春の平成13年入試では6校全体の受験生数は1,729人で6校全体の平均の実質倍率は1.33倍という広き門となった。4人のうち3人までが志望校に合格できたわけである。
一般に受験生の質に大きな変化がない限り競争率が高くなれば難化し競争率が低くなれば入りやすくなるのは自明の理。要するに、平成元年入試のころはどこの学校も競争率が高かったので、受験生は成績上位者から下位の生徒まで、程度の差こそあれみんなが一生懸命がんばって勉強したのである。そしてそのことが全体の受験学力のアップにつながっていたのである。
●学力の二極分化が進む
一方、今春の入試は全体としてはかつての入試に比べると確かに入りやすい結果となった。ただし、難関校・人気校と呼ばれる学校では相変わらず倍率も高いため、これらの学校を目ざす生徒はかつての受験生と比較しても決してひけをとらないだけの勉強をしている。中にはかつての成績上位者よりずっと勉強している子供たちも見受けられる。しかし全体としては競争率が低くなったため、高望みをしなければ、それほど一生懸命になって勉強しなくても入れるような学校が出はじめたことも事実である。
つまり成績上位者は以前と比べても決して学力的に劣るということはない半面、成績の中位ないし下位に位置している子供たちは、かつての成績中下位の子供たちに比べると勉強量や気迫といった点において残念ながら多少遅れをとっているのも事実だろう。だから、全体としてみれば受験の学力も低下してきているといわざるをえない。それだけ学力の二極分化が進んでいるということだろう。
10年20年前の高学力層と比較しても少しもひけをとらない高学力層がいる一方で、あまり勉強をしようとしない低学力層がかなりおり、そのグループの割合が年々増えてきているように肌で感じる。だとすれば、日本の将来に思いをはせた時、暗たんたる気分にならざるをえない。
●教科の内容はかつての半分に
学力の低下にさらに拍車をかけそうなのが来年度から学校で使用される、新しい学習指導要領に沿って作成された教科書である。前述したとおり、現在使用されている教科書ですでに最盛期の教科書に比べると30%も内容が削減されているのに、さらに30%削減された教科書を使用することになる。1970年代に全国の小中学校で使用されていた教科書と比較すると内容が半分カットされた教科書(学習時間では約3割カットになる)を来年度から全国の小中学校で使用することになる。1970年代に小中学生であった人たちの大半は現在お父さんお母さんになり、小中学生の子供がいる年代である。自分がかつて学校で習ったことの半分しか自分の子供は習わないことになる。
多少なりとも我が子の教育、学力に関心のある親なら、来春我が子の新しい教科書を開けばおそらくがく然とすることだろう。自分がかつて習った内容とひき比べて「こんなことも、こんな内容もなくなってしまったのか……」と。
本当にこんなことで日本の子供の学力は大丈夫だろうか。
●科学技術大国、日本の崩壊
例えば現在の中学生なら誰でも知っている「ルネサンス」。この言葉も来年の歴史教科書から消えるわけだが、かりにこの言葉の意味や文化の内容を知らなくても「ああ、日本人の教養、知的レベルは落ちましたね。」といった程度の”罪“ですむかもしれない。しかし理数系の内容が大幅にカットされるのはその程度の影響では決してすまない。
経済大国日本を支えてきたのは高度な科学技術であり、その高度な科学技術の土台となっていたのが高度な理数系の学力であり、もっといえば高度な教育水準であったはずだ。その理数系の教科内容の削減率が最も高くなっているのも今回の教科書改定の一つの特徴である。「日本はもう科学技術大国としての道は歩みません。」と天下に公言しているようなものだ。どんな道を歩もうというのか。
●学力は「生きる力」の前提
これからは「考える力」「生きる力」が重視されることは何もわざわざ文部科学省からいわれなくてもごく普通に考えても当り前のことだろう。ただそれが教科の内容をカットした「ゆとり」とやらで生まれるかどうかははなはだ疑問。加えて大事なことは「生きる力」や「考える力」は何もないところからは生まれないということだ。ある程度の学力や、知識についての正しい理解力、定着力といったことがその前提になるはず。高度な「生きる力」や高度な「考える力」を身につけるためには、当然高度な学力・知的理解力がその基盤になる。今の小・中学生たちの年代は、その基盤づくりのきわめて重要な時期にあたる。その時期をどう過ごすかで将来がある程度決まるといっても過言ではない。それは、そのまま日本という国家が将来どうなるかということにもつながる。
●教育現場は大混乱?
ならば、そんな問題のある教科書など使わなければいいではないか、という意見もあろう。が、そうはいかないのである。公立学校は、教科書に沿った授業が義務づけられている。補助的にプリントなどを使用することはあっても、あくまでも教材の中心は教科書に置かなければならないのである。
その結果、多数の現場の先生方としては、多少のわだかまりは残っても、「学習指導要領に沿って、新しい教科書に載っている内容については全て教えたのだから、これでいいのではないか。」と、ある程度割り切って納得するしかない。中には熱心に副教材やプリントを作成して、削減された教科内容の補充を行う先生もいるかもしれない。しかし、今の教育現場には、そんな余分に労力をさけるような時間的精神的な余裕はとてもあるようには思えない。ただでさえ忙しいのに、新しい教科書の導入で、大なり小なり教育現場が混乱するのは目に見えている。
誤った文部科学行政のとばっちりを受けるのは、いつも教育現場であり、ほかならぬ子供たち自身である。
●私立志向が一段と鮮明に
その点私立学校はある程度の独自性が認められているので、新しい教科書使用による弊害(つまり学力低下の心配)はほとんどないといってよい。なぜなら、もともと私立学校、中でも進学校と呼ばれる私学は、教科書に重きを置いた授業をしていないからである。むしろ教科書以外の参考書、問題集、プリント類といったたぐいの副教材が授業の主役になっているケースが多く、その是非はともかく、やがてくる大学入試に視点を置いた実力養成のための授業がなされているのである。
その大学入試は、「ゆとり」を前面に打ち出した学習指導要領とはむしろ逆行する方向に動いている。有名大学を中心とした「大学らしい大学」では、低学力の子供に迎合するのをやめて、入試に課す科目数を増やしたり、問題のレベルを昔のように引き上げたりするところが増えてきているのである。
このままでは大学入試を考えた場合、私立と公立とでは今まで以上にその格差が広がるのは明らか。せっかくあの手この手と諸改革を行い、県民の評価も高くなってきつつある公立学校だが、再び私立人気が沸騰する、そんな客観情勢にある。
●問われる私学の独自性
手かせ足かせが多い公立に対して私学は独自性を打ち出しやすい立場にある。今回の新しい学習指導要領、学校5日制の導入を機に、それぞれの私学がその独自性や特徴をどこに置き、市場(子供、保護者、塾・教育関係者など)にどう訴えていくかが今度は問われてくる。
学校5日制一つをとっても、私学はその対応がまちまちである。すでに5日制に移行している私学もあれば、学芸や高知のように隔週の5日制を考えているところや、土佐・土佐塾・土佐女子のように、とりあえず学校5日制の導入は考えていない学校もある。
進学面、生活面その他全てに渡って学校の姿勢を積極的にPRしていく努力が求められる。何もしないで生徒が集まってきた時代はすでに終わっている。子供、父母の厳しい選択眼にたえ、支持を得た学校しか生き残れない、そういう時代に入っている。
がんばれ私立! 負けるな公立! ついでに塾こそがんばれ!
公立も私立も塾もその垣根を越えて、全ては21世紀を力強く担ってもらわなければならない子供たちのために、愛情を持って暖かく厳しく指導する必要性に迫られている。それが新しい時代の要請であり、教育界のグローバル化でもあると考える。